中国仏教思想史


■■<<中国仏教思想史>> (木村清孝/パープル叢書/世界聖典刊行協会 より)

目次

はしがき

第一章 中国化への道

一. 最初期の状況

伝来に関する諸伝説
伝来の実際
仏教信仰のすがた

二.中国思想との出会い―『理惑論』を中心として

『理惑論』の重要性
人生観の問題
倫理の問題  孝 礼
『理惑論』の立場
輪廻説の変容
倫理的批判への反論

・・・

P16〜

二.中国思想との出会い―『理惑論』を中心として

 前節に見たごとく、仏教は、中国においては、当初、むしろ感覚的に、神仙思想の枠内で受け止められたであろう。しかし、やがて仏教が次第に社会的勢力を獲得し、僧たちと中国の人びととの交渉が深まるにつれて、仏教の思想・信仰の実質が問われるようになってくる。それは、むろん、シンプルな神仙的ブッダ像と神仙的仏教観が変化していくということを意味している。では、いかなる観点から、どのような形で仏教は問題にされ始め、また、中国仏教者はそれにどう応えようとしたのであろうか。

 初期の中国仏教の資料は、数多く、梁の僧祐の『弘明集』にい収められている。そして、この『弘明集』の巻頭に載せられているのが、『理惑論』一巻である。

…まず、神仙思想に連続する現世主義的な人生観の問題がある。この点が、『理種論』にはつぎのような問として示されている。

人が世の中を渡っていくのに、富貴を好んで貧賤を悪み、働かずに楽しく暮らすことを喜んで、あくせく働くことを嫌がらないものはない。黄帝は性を養う上で五肴(ごこう)が最高であるとされたし、孔子は、「飯は精白されているほどよく、生肉は細かく切ったものほどよい」といっておられる。それなのに、いまの沙門は、赤い布を着、日に一度食事するだけで、人間の自然の情を封じ込め、自ら世を終えようとする。こんな生き方をして、いったいどういう楽しみがあるというのか。

 『詩経』の唐風の詩の一つに「山有枢」がある。目加田誠氏の和訳(岩波新書)を参照しつつ訳出してみると、次のごとくである。

一. 山には枢(いちぎ)
     隰(さわ)には楡(にれ)
    衣装があるのに
    身に着けず
    車馬があるのに
    駆りもせず
    そのまま死んだら
    ひとの愉しみ

二. 山には栲(ぬるで)
    隰(さわ)には?(あわぎ)
    延宅があるのに
    掃きもせず
    鐘鼓があるのに
    打ちもせず
    そのまま死んだら
    ひとのもの

三. 山には漆(うるし)
    隰(さわ)には栗
    酒食があるのに
    なぜ曲弾かぬ
    まあさ楽しめ
    まあ日を尽くせ 
    そのまま死んだら
    ひとの部屋 

 中国の人びとには、行きすぎた享楽を戒めながらも、この詩に詠われるような考え方、すなわち、いのちの短いこの人生であればこそ、楽しめる時には大いに楽しむべきであるという考え方が相当に強いように思われる。先に引用した『理惑論』の問いのことばは、まさしくかかる考え方に立って発せられたものであろう。そこには、人生を苦と捉え、自らの本能的欲望をその苦の根本的要因と見て、欲望から離れるべきことを強調する仏教の清貧主義に対するかれらの深い懐疑の念が示されているといってよい。