はじめに
「無一物中無尽蔵、花有り月有り楼台有り…」。中国北宋の詩人、蘇軾(蘇東坡)は、そう喝破しました。その洞察は、正鵠を射貫いており、むろん現代においても通用するものと思います。今、右も左も拝金主義で、どちらを選んでも、地球が壊れようとしています。私たちは、経済成長にうつつを抜かし、古人の知恵を忘れてしまっているのです。
日本に曹洞禅を伝えた道元が、中国に留学した際の有名なエピソードに次のような話があります。ある日、典座(料理番)を務める老僧が、椎茸を求めにやってきました。寺で僧たちに振舞う料理を作るために材料を仕入れに来たのだと言います。道元は驚いて僧に尋ねました。「どうしてあなたは、議論したり、座禅したりしないのですか?」「そのような雑用は、年若いものにまかせたらいいではありませんか?」
老僧は、笑って応えました。「ああ、あなたは禅を理解していない。」「このような機会を逸するわけにはいかないのです。」
曹洞宗では、作務といいますが、料理をつくったり、掃除をしたりする作業をとても重視します。それはどうでもいい雑用ではなく、重要な修行なのです。
この時の体験は、道元に決定的な影響を与えました。道元には、『典座教訓』という著作がありますが、私などは、これを道元の主著と呼んでもいいのではないかと思っています。
その道元には、『眼横鼻直』という言葉があります。眼は横に鼻は縦についているということです。「当たり前のことを当たり前と理解せよ。そして、それに驚け!」
「古佛云、山是山水是水。この道取は、やまこれやまといふにあらず、山これやまといふなり。しかあれば、やまを參究すべし、山を參窮すれば山に功夫なり。かくのごとくの山水、おのづから賢をなし、聖をなすなり。」 (正法眼蔵・山水経)
道元は、同じことを形を変えて繰り返し繰り返し説き続けました。「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」
今、私たちが、求められているのは、足るを知ること(吾唯足知)だと思います。このサイトが、古人の知恵を再発見する小さなとば口となることを願って止みません。
ご仏縁に感謝しつつ… 合掌