法輪(ほうりん、梵:dharma-cakra)は、仏教の教義、特に釈迦が説いた四諦・八正道の別称。「輪」とは古代インドの投擲武器であるチャクラムのことである。人々が僧侶から説かれた仏教の教義を信じることによって自らの煩悩が打ち消されるさまを、その破邪の面を特に強調して、転輪聖王の7種の宝具の1つであるチャクラムに譬えた表現である。

そこから、仏教では教義(法輪)を他人に伝えること(転)を転法輪と言うようになり、特に釈迦がサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)で元の修行仲間5人に最初に教義を説いた出来事を初転法輪と言う。その後、三転十二行相を説いたともされる。

法輪は仏教の教義を示す物として八方向に教えを広める車輪形の法具として具現化され、卍と共に仏教のシンボルとして信仰され、寺院の軒飾りにも使用された。また、中国では道教にも取り入れられ、教義を示す用語として使用されている。

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はじめに


 
  「無一物中無尽蔵、花有り月有り楼台有り…」。中国北宋の詩人、蘇軾(蘇東坡)は、そう喝破しました。その洞察は、正鵠を射貫いており、むろん現代においても通用するものと思います。今、右も左も拝金主義で、どちらを選んでも、地球が壊れようとしています。私たちは、経済成長にうつつを抜かし、古人の知恵を忘れてしまっているのです。

日本に曹洞禅を伝えた道元が、中国に留学した際の有名なエピソードに次のような話があります。ある日、典座(料理番)を務める老僧が、椎茸を求めにやってきました。寺で僧たちに振舞う料理を作るために材料を仕入れに来たのだと言います。道元は驚いて僧に尋ねました。「どうしてあなたは、議論したり、座禅したりしないのですか?」「そのような雑用は、年若いものにまかせたらいいではありませんか?」

老僧は、笑って応えました。「ああ、あなたは禅を理解していない。」「このような機会を逸するわけにはいかないのです。」

曹洞宗では、作務といいますが、料理をつくったり、掃除をしたりする作業をとても重視します。それはどうでもいい雑用ではなく、重要な修行なのです。

この時の体験は、道元に決定的な影響を与えました。道元には、『典座教訓』という著作がありますが、私などは、これを道元の主著と呼んでもいいのではないかと思っています。

その道元には、『眼横鼻直』という言葉があります。眼は横に鼻は縦についているということです。「当たり前のことを当たり前と理解せよ。そして、それに驚け!」

「古佛云、山是山水是水。この道取は、やまこれやまといふにあらず、山これやまといふなり。しかあれば、やまを參究すべし、山を參窮すれば山に功夫なり。かくのごとくの山水、おのづから賢をなし、聖をなすなり。」 (正法眼蔵・山水経)

道元は、同じことを形を変えて繰り返し繰り返し説き続けました。「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」

 今、私たちが、求められているのは、足るを知ること(吾唯足知)だと思います。このサイトが、古人の知恵を再発見する小さなとば口となることを願って止みません。

                 ご仏縁に感謝しつつ…     合掌