神道


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神道(しんとう、しんどう[4])は、日本の民族信仰[5][6][7]、宗教的態度[4]。

開祖・教祖・教典を持たない事から宗教への分類には賛否両論が存在し[8][9]、日本政府は神道は宗教ではなく国家の宗祀と位置付けており[10]、神社非宗教論も存在する(また神道の名称には「教」の文字が存在せず、名称も「神教」とされていない)。

一神教とは対照的に森羅万象あらゆる物に神が宿るという思想に基づている。日本人が昔から農耕や漁労など自然と交わり生活を営む中から生まれた信仰といえ[11]、神話、八百万の神、自然や自然現象など多くの事柄を含むアニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である[12]。神と自然は一体と認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[13]。

概要

古代日本に起源を持つ。伝統的な民俗信仰・自然信仰・祖霊信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[14][15]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[16]。世の中の宗教名の多くは日本語では「○○教」と呼称するが、神道の宗教名だけは「神道教」ではなく、単に「神道」となっている[注 3]。

神道には確定した教祖、創始者がおらず[16]、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないが[12]、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と称される原典群が神道の原点とされている[17]。森羅万象に神が宿ると考え、また偉大な祖先を神格化し、天津神・国津神などの祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直 (じょうみょうせいちょく)(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[18]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。

日本人の生活と深い関わりのある神道は仏教が大陸から伝来したのち、それまで日本国独自の習慣や信仰が御祖神(みおやがみ)の御心に従う「かむながらの道(神道)」として意識されるようになった[19][20]。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられおり、『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる[21]。

神道の特色の一つとして他宗教に対する寛容さが挙げられる。神道は仏教や儒教・道教などとも習合し日本文化に大きな影響を及ぼしたが、日本国独自の神観念は変わらず、現在まで脈々と受け継がれている[22]。

神道は奈良時代(710年 ? 794年)以降の長い間、仏教信仰と混淆してきた(神仏習合)。日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って一つの宗教となったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性が維持されている[23]。宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されながら並存していた[24]。明治時代には神道国教化を実現するために、神仏分離が行われた[25]。

神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教は主に人々の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[14]。

歴史

神道の起源は非常に古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念である。農耕文化の進展とともに、自然の威力に神霊の存在を見出し、その神霊を丁重に祭ることで自然の脅威を和ませ、農耕生活の安寧を祈るという神観念が生じたことが、神道の始まりであった[35]。このため完全に宗教に位置付けられる仏教やキリスト教のような開祖が存在せず、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられている[20]。

現在の神道・神社に直接繋がる祭祀遺跡が出土するのは、農耕文化の成立に伴って自然信仰が生じた弥生時代で、この時代には、荒神谷遺跡などに代表される青銅器祭祀、池上曽根遺跡のような後の神社建築と共通する独立棟持柱を持つ建物、鹿などの骨を焼いて占う卜骨や太占、副葬品としての鏡・剣・玉の出土など、神社祭祀や記紀の神道信仰と明らかに連続性を持つ要素が見られるようになる[36]。魏志倭人伝において、邪馬台国の女王卑弥呼が「鬼道を事とし、衆を惑わすこと能ふ」との記述が見られ、この「鬼道」がシャーマニズム的な要素が強い初期の神道であるとする説が有力である。なお、「鬼」「惑」などのようにネガティヴ的なニュアンスを持つ漢字が用いられたのは、儒教に内包される反迷信的な理念(子曰く「怪力乱神を語るべからず」-『論語』)による所が大きいと考えられる。

大和王権が成立する古墳時代には、最初期の神社と考えられる宗像大社や大神神社で、古墳副葬品と共通する副葬品が出土することから、大和王権による国家祭祀が行われたと推定されており、この時期に神道の直接の原型が形成された[37]。飛鳥時代には律令の整備に伴い、神祇令に基づいた祭祀制度の体系化が行われ、神祇官が全国の神社に幣帛を頒布する班幣制度の確立や、全国の神社への社格区分や神階・神位の授与など、全国の神社を包括する国家的な律令祭祀制度が整備されたため、この時期に体系的な「神道」が成立したとするのが、多くの研究者での概ねの共通認識となっている[38]。

「神道」という名称については「かんながらの道(神道)[39]」と言う意味である。中国の『易経』や『晋書』の中にみえる[40]神道は「神(あや)しき道」という意味であり、これは日本の神道観念とは性質が異なる別個のものである。

日本における「神道」という言葉の初出は『日本書紀』の用明天皇紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であるが[41]、このように外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった[42][43]。また、稲作のような自然の理法に従う営みを指して神道とする解釈もある[44]。

中世には仏教理論との関連から神道の教義化・内面化が模索され、最終的に仏教から独立した独自の教義・経典・祭祀を持つ吉田神道が形成されて、神道界の主流となった。さらに近世には日本の古典研究に神道が統合されることで国学が成立し、倒幕運動に影響を与えた。こうして近代に入ると、明治政府によって国家神道体制が形成されたが、第二次世界大戦終結後には国家主義的イデオロギーの根源とされた同体制は解体され、現代においては宗教法人として各地の神社が活動している。

明治20年代(19世紀末)になると、西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始めた。同30年代(20世紀初)には宗教学が本格的に導入され[45]、学問上で「神道」の語が確立した[46][要ページ番号]。