土井善晴+中島岳志


■■<<料理と利他>> (土井善晴・中島岳志/ミシマ社/P24〜)

「家庭料理は民藝だ!」

中島
 今、料理は誰にでもできるということについてお話くださいましたが、もうひとつ、土井さんの話を読んでいてなるほどなぁと思ったのは、土井さんのうしろにも壺がありますが、「民藝」というものです。僕がおもしろいなと思ったのは、土井さんが海外で修行をして日本に戻ってこられて、プロの料理人というものを目指していらっしゃったときに、お父さまに「家庭料理の料理学校を継ぎなさい」と言われ、最初は率直に嫌だった。「修行してきてキレキレの料理人を目指しているのに、なんで家庭料理やねん」と。そういうときに京都を歩いていて、河井寛次郎という、日本の民藝にとって非常に重要な人物の記念館に行ったときに、非常に大きな感銘を受けたそうです。このことを少し教えていただけますか。

土井 いわゆるプロの料理や懐石料理と言う世界は、はっきり言って、いかにお金をもらうかということも考えるわけですよね。それもありますけれども、やはり「洗練」というね、たとえば材料は鯛しか使わないとかね、そういうものが懐石料理のプロの世界としてある中で、私たちの生活というのは日常のなかにある。日常のなかにはそんなに美しいものはないんだ、とプロの人間は意外と思っているわけです。家庭料理はそんなにおいしくないとか。それこそ技術のいらない世界というふうに思われている。だから、懐石料理の日本一というようなものを目指していた自分が、「家庭料理?なんでやのん」と。まあ、家庭料理をなめていたんですね。そういうことも踏まえてえらい悩んでいた。

 そんなときに、京都の河井寛次郎記念館に行ったら、河井寛次郎のつくり出した非常に心地よい、美しい空間があるわけですね。これってなんなのと。美しいものは追いかけても逃げていく。でも、淡々と真面目に仕事すること、自分が生活をするということで、美しいものはあとからついてくるんじゃないかということを、河井寛次郎や濱田庄司は、発見するわけです。まさにそのことを実践した人たちなんですね。

 そうすると、家庭料理もそれと同じだなと思ったのです。毎日食材という自然と向き合い、じかに触れながら、家族を思って料理する。そういった日々の暮らしを真面目に営み、結果として美しいもの(暮らし)がおのずと生まれてくる。そのとき、プロの料理人を目指していた自分が下にみていた家庭料理のなかに、本当に美しい世界があるということに、気づいたのです。河井寛次郎の記念館で、「家庭料理は民藝だ!」とは叫ばなかったんですけど(笑)、自分では発見したんですよね。


作為が残っていたら、気持ち悪くて食べられない

中島 
河井寛次郎も濱田庄司も、じつは東京工業大学(当時は東京高等工業学校)の出身者なんですよね。日本の工業と民藝が同じスタートラインではじまっているのはとてもおもしろいことですね。濱田庄司にしろ、河井寛次郎にしろ、あるいはそれを言語化した柳宗悦にしろ、非常に重要だったのは浄土教、・仏教の世界だったんですよね。柳宗悦は、『南無阿弥陀仏』という本も書いています。いわゆる浄土教、日本でいうと浄土宗とか浄土真宗とか、柳宗悦の場合は一遍の時宗に強く惹かれているのですが、ここには、自力他力という考え方があります。

 彼らがなぜ民藝というものに価値を見出したのかというと、芸術家というものは美しいものをつくろうという強い自力やはからいをもってなにかを制作していると。しかし、使われることを前提として大量につくられているものというのは、なにか美しいものをつくろうというはからいというよりは、庶民が淡々と仕事をしてつくり出すものであると。とするならば、あとから美がやってくると先生がおっしゃられたように、なにか美しいものを自分の名前でつくろうといった作者性よりも、自分の無名性というんですかね、そういうなかで淡々と仕事をしてできたもののなかに、阿弥陀の本願という阿弥陀仏の力がやってきて、他力というものが現れる。だから民藝というもののなかに本当の美しさが現れるんだというのが、彼らの共通した観念だったと思うんですね。土井先生も対談で、家庭料理と民藝は通じているとおっしゃっています。

「そこは『民藝』と通じている気がしますね。おいしさや美しさを求めてもにげていくから、正直、やるべきことをしっかり守って、淡々と仕事をする。すると結果的に、美しいものができあがる。」
(「ほぼ日刊イトイ新聞」2017新春対談)

土井 そうなんです。実は日本料理というものも、たとえばここにお料理をぽんと置きますでしょ。お料理を置いたら、盛り付けが終わったら、そこに人間が残ったらいけないんです。人間は、消えてなくならないといけない。はからいを作為と考えると、作為という作り手の自我が残っていたら、気持ち悪くて食べられないと思いませんか?

中島 なるほど。

土井 その人(の作為)を食べることになってしまう。だから民藝というのは、「銘」が書いてない。器ではあるけれど、作品ではなく、道具。銘を残さない。たとえば、民藝の象徴的な皿。この銘の書かれていない皿の上にこそ、美しいものが残る。家庭の暮らしのなかでは、道具と料理の関係に美が生まれるわけです。
 

■柳宗悦

Wiki: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%AE%97%E6%82%A6

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年〈明治22年〉3月21日 - 1961年〈昭和36年〉5月3日)は、日本の美術評論家、宗教哲学者[1]、思想家。民藝運動の主唱者である。名前は「やなぎ そうえつ」とも読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される[注 1]。

宗教哲学、近代美術に関心を寄せ白樺派にも参加。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動も始めた。著名な著書に『手仕事の日本』、『民藝四十年』などがある

■河井寛次郎

Wiki: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E5%AF%9B%E6%AC%A1%E9%83%8E

河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している[2]。河井 ェ次郎とも表記される[3]。

■濱田庄司

Wiki: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E7%94%B0%E5%BA%84%E5%8F%B8

濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年〈明治27年〉12月9日 - 1978年〈昭和53年〉1月5日、本名象二)は、主に昭和時代に活躍した日本の陶芸家。民藝運動の中心的な活動家の一人であり、栃木県益子町に定住し、益子焼の中興の祖となった。

長男の濱田琉司は毎日新聞社記者[2][4][5]。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家、四男の濱田能生は硝子工芸家。