養老孟司
■■<<無思想の発見>> (養老孟司/ちくま新書 569/P139〜 )
※痛烈な優しい批判!
<書かれなかった思想>
中国はともかくとして、話を日本に戻す。同じアジアという主題に触れたものとして、中島岳志『中村屋のボース』(白水社)を例にとろう。中島氏はまだ三十歳、まさに新進気鋭の学者である。この本はボースの伝記としてたいへん優れたもので、私が中島氏の年齢だった時代に、こうした書物が書ける若い人はまずいなかったと思う。日本社会の「進歩発展」が、悪い面ばかりでなかったことは、こうした学問の面にもよく表れている。
中島氏は、玄洋社について、つぎのように書く。
「このようなインドを含むアジアの解放に関心を寄せる玄洋社・黒龍会のメンバーの間では、西洋列強の植民地支配に苦しむアジア諸国の民に対する同情心と、彼らに何とか救済の手を差し伸べたいという義勇心が強く共有されていた。また、彼らはそれを実現するために、身を粉にして活動に従事する行動力と資金力も十分に有していた。
しかし、彼らには思想がなかった。
頭山満も内田良平も、時事評や戦略論、精神論は盛んに講じていても、後世に残るほどの思想を提示していない。いや、正確に言うならば、彼らは意図的に思想を構築することを放棄していた。彼らは「思想」というものに対して、積極的に無頓着たろうとしていた。
それは、かれらの人的交流にもはっきりと表れている。頭山は思想信条的には相容れない部分が多くあったであろう中江兆民と生涯の友人であり、アナーキストである大杉栄や伊藤野枝らにも資金提供をしている。彼らにとって重要なのは、思想やイデオロギー、知識の量などではなく、人間的力量やその人の精神性・行動力にこそあった。」
こうしてふたたび、私は「日本の無思想」を発見する。「彼らには思想がなかった」と若い中島氏は書く。それなら中島氏は「有思想」なのであろうか。中島氏の真意が彼らに思想がなかったことを批判しているのであれば、まさに中島氏は有思想だというしかない。
しかし、同時に、有思想であるなら、そもそも「彼らには思想がなかった」と書くであろうか。「思想のない社会はない」と私は書いた。「思想のない人間はいない」といってもいい。ここで私はふたたび想起する。『日本の思想』という書物に、「日本に思想はない」と書いた丸山真男を。
中島氏は注意深い。「彼らには思想がなかった」と書くが、同時に「かれらは「思想」というものに対して、積極的に無頓着たろうとしていた」と書く。ここには二つの思想がある。括弧のない思想と、括弧つきの思想である。括弧付きの思想は既成の思想、外部から与えられた思想である。では括弧のない思想とはなにか。著者はそれを明示しない。察するに自分の思想、独自の思想であろう。
引用部分に名前はないが、玄洋社に関係して、杉山茂丸が登場する。杉山夫妻の骨格標本は、東京大学医学部の標本室に収められている。それぞれの骨格に頭書が付されており、茂丸のものは頭山満、夫人は広田弘毅による。そんなものが、なぜそんなところにあるのか。頭書によれば、茂丸は死体国有論を持論としていたという。かつて私はその詳細を知りたいと思ったが、機会を得なかった。茂丸の子が夢野久作である。その作品はむしろ、思想に満ちているといってもいいであろう。
中村屋の女主人、中村黒光は、自分の娘を「亡命」中のボースに娶らせる。それを行わせたものは、ただひたすら「心情」なのか。そんなはずはない。黒光とその娘は、むしろ「思想に殉じた」ともいえるのではないか。中島氏のような俊英が、いわば気軽にその「彼らには思想がなかった」と表現するほど、この国は無思想が常識なのである。
「言葉に表現されなければ、思想ではない」。それはもっともだが、それをいうのは欧米社会である。日本の思想を考えるなら、「書かれない思想」について書くしかない。思想は思想だけで立つわけではない。思想は日本でいう世間、つまり社会の実情と補完し合う。書かれなかった思想をあえて書くこと、それこそが真の「思想としての歴史」ではないのか。