土井善晴


■■<<一汁一菜でよいという提案>> (土井 善晴/新潮文庫/P33〜 )

※日本人それとも現代人の大事な忘れ物…。


<慎ましい暮らしは大事の備え>

 人間の「生活」とは、生きるための活動ですから、そこには外での仕事も含まれます。 家の中での勤めは「暮らし」のことです。昔は、外の仕事も家の仕事もあまり区別なく、同じように向き合い、繋がっていたように思いますが、今では外の仕事のほうが重要視されるようになって、暮らしがおろそかになっている。でも、幸せは家の中、暮らしの中にあるものと思います。

 淡々と暮らす。暮らしとは、毎日同じことの繰り返しです。毎日同じだからこそ、気づくことがたくさんあるのです。その気づきはまた喜びともなり得ます

 毎日庭を掃いていると、掃いている人にしかわからないことがたくさんあることを知るでしょう。たった一つの石ころとでも友達になれるのです。もとからそこにあったものか、あるとき他から紛れ込んだものかを知っているのです。

 知らない植物が芽を出していることもあります。春になれば、庭木の芽も膨らむ。緑が日々鮮やかになり、季節の移ろいを細やかに感じるのです。雑草も伸びるし、そこにお気に入りが見つかるかもしれません。

 しゃがみこんで、庭木の根本を丁寧に掃除して、一枚の葉も残さず掃き清め、水を打ち終わると、黒い土に庭木が際立って浮かび上がり、はっとするほど美しいのです。自分の心まで清々しい気持ちになるのがわかります。植物が喜んでいるように感じられるのです。植物を育てているということもありますが、逆に私を見てくれているようにも思えるのです。これは、大事が起こる前の小さな気配を見逃さないということにつながります。昔の人は油断大敵とも言いましたが、それは自らを守る力になることでしょう。


 掃除を終えて、またすぐに木の葉が堕ちることがあります。まるで何かの風刺漫画のようですが、掃除をする前の庭に戻ってしまったのではなく、掃き清めた新しい庭に、新しい木の葉が落ちたのです。そこにまた、新しい庭が現れているのです。

 初めて見る庭は美しい。いつも動いていることが美しい。流れる水は腐りません。それが心地よく感じられるのは、滞らぬ時間という自然の姿だからです。伊勢神宮が二十年ごとに建て替え改めることも同じ、新しくなることが永遠につながります。

 新しくなる効果に着目すれば、外の仕事も、常に新しくなることが大事です。仕事が少し甘くなったとしても、変化を優先したほうがよいと考えています。少しのことは、その新鮮さにカバーされると思います。もし一時的に後退したとしても、リカバリーして、事前以上の実力が繰り返しの中で蓄積されていくものだと思います。

 毎日、毎食の一汁一菜。同じものを作っているつもりでも、四季の変化とともにおのずから変わっていきます。

 日本の気候は総じて温暖で雨が多く、スポンジのような土壌のブナの山が水をたっぷりと蓄え、豊かな栄養分をともなった水を田んぼに溜めて、ゆっくりと流し、肥沃な大地を作り、四季折々に恵みをもたらします。南北に長いこの島国は、亜寒帯から亜熱帯まであらゆる気候帯を含み、更に、絶えず起こる地殻変動によって作られた高低差の大きい複雑な地形は、それぞれの土地に異なる食材と食文化を育みます。

 今は全国どこに行っても季節を問わず同じ県産のかたちの揃った野菜が流通していますが、地元のものをお使い下さい。収穫量の少ない地元の野菜は、効率が悪い、かたちが揃いにくいという理由から流通に乗らず、大きな市場には出回りません。遠くまではこばれることなく、その土地の朝市や小売店、軽トラで運ばれてくるような小さなマーケットに並びます。鮮度が良くて、比較的農薬も少なく、健康価値が高い。だから味も良いのです。地産地消を心掛けるだけでも、暮らしは変化します。そこには楽しみをともないます。