中島岳志+島薗進
■■<<愛国と信仰の構造―全体主義はよみがえるのか>>
(中島岳志・島薗進/集英社新書)
P223〜
▼「文明の衝突を招く「単一論」
中島 そのために、私はやはり、「多一論」というアジア的価値の可能性を追及していきたいのです。
この章の冒頭で島薗先生から伝統宗教の復興というお話がありましたが、この中には「単一論的宗教復興」とでも呼ぶべき潮流が含まれているのではないかと思います。イスラーム諸国では、IS(いわゆるイスラーム国)に見られるように、一部の過激な急進派によるイスラーム復興運動が拡大しています。インドでは、1980年岱以降、「ヒンドゥー国家」の構想を抱くヒンドゥー・ナショナリストの勢力が拡大し、アメリカでも聖書の無謬性を強調する福音主義者たちが政治的影響力を強めています。
そして、ここまでの議論から、日本もこうした「単一論的宗教復興」の動きが強まっていると言っていいでしょう。
「単一論」は、国内においては全体主義と結びついていきますが、同時に、異なる宗教や文明との衝突をももたらします。
こうした二重の危機を乗り越えるためには、今こそ「バラバラでいっしょ」の「多一論」を基礎とした「思想的なアジア主義の可能性を追及する必要があります。
▼柳宗悦の思想―アジア的な「多一論」の可能性
島薗 戦前においてアジア主義は、帝国主義へと転化してしまいました。それを繰り返さないために、中島さんは何が必要だとお考えですか?
中島 私は、柳宗悦の思想に、アジア的な「多一論」の可能性を見出したいのです。柳は「民藝」という概念を作り出したことで知られていますが、それは柳の一面にすぎません。彼は同時に、偉大な宗教哲学者でもありました。
1919年に三・一独立運動が起きた時に、ほとんどの人間がそれに嫌悪感を示したのとは逆に、柳宗悦は、朝鮮の独立というのが正しいという論を立てるわけです。また、1922年にはソウルの光化門の破壊にも強く抗議しました。その訴えが功を奏し、門の保存的移築が決定したのですが、彼はこれにも強い不満を漏らしました。それは光化門には光化門のトポスが存在すると考えたからです。
柳は世界を一色にしてしまうことに猛然と抵抗しました。世界は多元的であるがゆえに、複合的な美を内包している。そして個別的な美は、常に「一」なる超越的存在のあらわれであり、その美はそれぞれのトポスにおいて開花するわけです。
だから、一元的な思想を日本精神に置きかえて他者を抑圧するような日本の帝国主義は、多元性を抑圧しているからよくないという批判が彼の中にはあります。
と同時に、柳は沖縄やアイヌにも個別的な多元性を認め、かつそれが庶民とつながっていくわけですね。芸術家の計らいというよりも、妙好人と言われる人たちの計らいを超えたところにある生活実践の中で生まれてくる美というのが、彼の民芸運動というものにつながっていく。そこから世界というものをもう一回普遍的に見直そうと。
だから、柳宗悦の中では世界を統一したいというような願望、ある極端な理想主義的イデオロギーは出てこなくて、多元的なものは多元的なままで一元的であるという発想が非常に強い。
近代日本の中で一番希望がある人は誰かと問われると、この柳宗悦ではないかと思うのです。彼はアジアとの連帯を考えながら、アジアの独立というものをしっかりと支持し、日本の全体主義にも与しなかった。ですから、日本のアジア主義のあり得たかもしれない道を柳宗悦が示しているように感じます。
私もまた、島薗先生と同じように、世界統一や一元的な政治の実現ということに対しては距離を置きたいと思っています。保守思想に惹かれるのもそのためです。世界は絶対に完全には到達しない。なぜならば人間は不完全であるから。不完全な人間は不完全な世界しか作れない。けれども、その遠い先というものを見つめることは人間にとって必要であるということです。